月刊 プラザ岡山 Vol.242

月刊 プラザ岡山 Vol.238 page 6/36

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 久米郡久米南町にある誕生寺は、法然上人生誕の地で、誕生寺境内の地に住まいがあったとされています。源平合戦で平敦盛を討ったことでも知られる武将熊谷直実が、後に弟子となり(法名蓮生)、1193(建久4)....

 久米郡久米南町にある誕生寺は、法然上人生誕の地で、誕生寺境内の地に住まいがあったとされています。源平合戦で平敦盛を討ったことでも知られる武将熊谷直実が、後に弟子となり(法名蓮生)、1193(建久4)年、寺院に改修しました。 現在の本堂(御影堂)は、1695(元禄8)年政治的にものを言わせる信仰がはびこる中、在家の人、社会の底辺に生きる人々が救われる仏教を説いた法然上人。平安末期の1133(長承2)年に誕生。父の死後身を寄せた菩提寺での勧めにより、当時の仏教の最高学府、比叡山へ。当初は天台宗を学び、その才は絶賛の的だったと言われます。43歳で、「ひたすらに岡山県からは日本全土に影響を与える〝偉人?が多数輩出されています。そのひとり、法然上人は久米郡久米南町出身で、宗教界の大変革をした人物。中学の教科書には必ず登場しますが、机上で習うだけでなく、現地を訪ねると、時を超えてまさにその〝人?が身近に感じられます。今回は、社会の授業で法然を習ったばかりの中学一年生かりんちゃんとおかあさんがゆかりの地を歩きました。その名もズバリ「誕生」した場所誕生寺法然上人ゆかりの地?「旅立ちの法然さま」像。再びこの地に帰ることはなかったと言われ、その覚悟のほどが顔つきに読み取れます。寂しさに泣き暮らし、翌年没したという母親秦氏の手鏡には涙のあとが残っています。(宝物館内)?「人肌のれん木」。比叡山に旅立つ際、母の健康を願って、体の保温用に母に贈ったとされるイチョウのれん木。法然上人自身の肌のぬくもりを保っていると言われ、触ると微かに暖かい。楽しくて「お勉強」にもなる!に再々建されたもので、山門とともに国指定重要文化財です。念仏の会得を喜ぶ姿を自ら彫ったという木像がご本尊です。境内には法然誕生のとき産湯に使った井戸や、手植えの「逆木の公孫樹」など、伝記・伝説にまつわる遺跡、遺品がたくさんあり、生身の人としての法然とその家族の在りし日の姿が偲ばれます。念仏を唱えれば誰もが救われる」とする浄土宗を開宗。親鸞ほか多くの僧が入門し信者も増えつつある中、旧勢力により四国へ配流されます(四国の地でも精力的に布教)。赦免されて帰京の後、1212(建暦2)年、京都東山大谷にて80歳で死去。廟所は知恩院にあります。主著は『選択本願念仏集』『一枚起請文』など。