月刊 プラザ岡山 Vol.242

月刊 プラザ岡山 Vol.238 page 21/36

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21世紀 岡山の100人音楽で人の役に立てることがあるのではないか――それは音楽を手段ではなく目的とし続けることで見えてくるかも。れがしんどいと感じることもあって、仕事で東京に出られるときは、『やったぁ』と....

21世紀 岡山の100人音楽で人の役に立てることがあるのではないか――それは音楽を手段ではなく目的とし続けることで見えてくるかも。れがしんどいと感じることもあって、仕事で東京に出られるときは、『やったぁ』と思っていました。それが、子どもができたとたんに、みんなが見ていてくれるのが安心感に変わりましたね。 新見だけでなく岡山などでもイベントに呼んでいただいていますが、地元で吹けるのはうれしいですね。主人は散髪屋さんの傍ら、私のマネジメントをしてくれています。同居の義父、義母も、子守のほか、私のことを献身的と言えるほど支えてくれて、とてつもなく恵まれた環境です。感謝の毎日ですね」―― 休日の過ごし方は。 「4歳の子どもと公園などで遊びます。子どもはなんて屈託なく、その時々を全力で過ごし、満足して眠りにつくんだろうと思いますね。将来的に篠笛に興味を持ってくれたら教えたいですけど、今は太鼓で遊んでいます。子どもがお昼寝の合間に譜面を書くんですが、寝不足で五線譜が何線にも見えて、『こりゃ、あかんなあ』という感じです」―― 最後に、今後の抱負を聞かせて下さい。「先の大震災で、音楽家としての自分にできることが何もないという虚無感から、しばらく笛が吹けませんでした。情報をネットで調べまくる毎日の中、ある人のブログで『音楽は神の言葉です』という言葉に触れ、自分にも音楽で役に立てることがあるのでは、と希望を持ちました。具体的にはまだよくわかりませんが、音楽は何かの手段ではなく、音楽そのものを目的にし続ける中で見えてくるものがあるかもしれない、と楽しみにしています」しゃるような気がします。だから、私という個人を表現するのではなく、自分は神様の言葉を笛を通して伝える依り代であり、笛に望まれて吹かされているのだと自覚しています。よりよく吹けるように集中し、無心になり、聴いてくださる方と共感、共鳴し合って、非日常的な空間に〝いい場所?を作っていけたらと思います」新見は地域のみんながファミリー―― ところで、新見に住むことになったのはなぜでしょう。 「たたらのご縁で新見のイベントに呼んでもらい、地元の和太鼓グループにいた主人と知り合ったんです。もともと田舎に住みたい気持ちはあったので、どこに住もうが篠笛さえ吹ければいいと思って東京から移って来ました。 新見は、横のつながりがものすごく濃密だというのが一番の印象ですね。外に出たらみんなが声をかけてくれて、いつだれがどうしたなど、全部が伝わるんです。都会なら、例えば『人殺し!』と叫んでも知らんぷりなくらいですが、ここでは地域がみんなファミリーといった感じ。当初はそに、パートではなく主旋律を演奏できる独立した楽器として、その魅力も多くの人に知ってもらいたいと思うんです。最近は篠笛のピッチを調整して、西洋音階に即した音階が出るようにつくられているので、西洋楽器とのアンサンブルもやりやすく、演奏できる音楽の幅が広がってきました。私は子守唄や山田耕筰の抒情歌などをアレンジして、作曲も手がけています。すでに曲集一冊と教則本二冊を刊行していますが、篠笛をする後輩を育むためにも執筆活動にはこれからも力を入れたいと思っています。こんなに表現力のある楽器なのに、もったいないですから」―― その自曲を中心に、独創的な演奏活動をされていますね。 「そうですね、恩師の影響もあって、ジャズとのセッションも多いのですが、コントラバス、ギター、ピアノといった西洋楽器や、琴、太鼓、尺八などの和楽器と共演したり。ジャンルを超えた舞台を創っていきたいですね。その中で、独奏楽器としての篠笛の美しい調べを現代の人の心にどう響かせるかがテーマです。舞台上の光の当たったあの場所には、いつも音楽の神様がいらっかいろいろなものに影響を受けてきた自分の今の感性には少なくとも嘘をつかないこと。そうすることで、自分という訳のわからない存在を信頼することもできてきました。ずっと稽古を積んでもなかなか上達が感じられないこともありましたが、あるとき『あれ? なぜかできちゃった』というようなことがあって、一度できると後はもうずっとできるんですけど、そういう体験はおもしろいですね」ジャンルを超えた新しい舞台に││ 朱鷺さんにとって篠笛ならではの魅力とは。 「ネイティブなところが自分によく合っていると感じます。そして、野外で演奏すると、ぱーっと音の通りがいい。夜などは笛の音が満天の星空に吸い込まれて山々にこだまし、天から降ってくる感じに包まれて、『ああ、篠笛はやっぱりええなあ』って思います。 同じ横笛でも能管と龍笛は、上流階級の間で能楽や雅楽で使われるのに対して、篠笛は庶民の楽器です。その地域の祭のお囃子などで、ひとつのパートとして使われ、暮らしに寄り添ってきました。おじいちゃんが竹をとってきて、自分のこぶしを当てがって穴をあける箇所を決めてつくるんです。だから音もまちまちで、絶対的な音階はありません。篠笛には古典に独奏曲として成り立っているものがひとつもなくて、もちろん楽譜もない。『チーヒャイヒャイ、テレツク…』といったような口伝だけで、リズムとメロディーが伝わってきました。口伝では、伝える人が亡くなったら伝わらないという危うさがあります。この美しい笛の音が絶えないよう、そしてさら取材/プラザ編集室●梶谷貴美子・小田由紀子京都生まれ。堀川高校音楽科卒業。同志社大学卒業。古典に独奏曲を持たない篠笛の、独奏楽器としての可能性を追求すべく、演奏・作曲活動をしている。オリジナル作品集の他、多数のCDをリリース。教則本や曲集の執筆も手がけ、後輩の育成にも精力的に取り組んでいる。自らの門下、たたら会主宰。TOKI TATARA朱鷺 たたら さん プロフィール