月刊 プラザ岡山 Vol.240

月刊 プラザ岡山 Vol.238 page 7/36

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植村真実さんUEMURA MAMIテディベアの製品はシュタイフ社が中心で輸入雑貨やアンティークなども取り扱う。「結婚記念日には〝とっておきのベア〟をプレゼントしてくれる」旦那さんはお店も全面的に応援。そんな優し....

植村真実さんUEMURA MAMIテディベアの製品はシュタイフ社が中心で輸入雑貨やアンティークなども取り扱う。「結婚記念日には〝とっておきのベア〟をプレゼントしてくれる」旦那さんはお店も全面的に応援。そんな優しい夫と3人の子ども、愛犬4匹と岡山市に在住。テディベア&雑貨 「フロッケ」 オーナーPぬいぐるみ大好きっ子 幼い頃からぬいぐるみやお人形が大好きだったという植村さん。お姉さんたちは観賞用として楽しむ中、植村さんは「遊び過ぎで足がちぎれて、ショックで…」というほど、どこに行くにもぬいぐるみと一緒でした。 テディベアとの出合いは高校生のとき。20代にはベア作家リンダ・スピーゲルローさんの本で見たベアに夢中になり、その後は泉木の実さんの手作りベアがきっかけで自らも挑戦。東京の手づくり教室に参加したこともありました。お子さん3人の誕生記念にもベアを手作りし、プレゼントしました。最後に行き着いたのが、現在お店の主力商品でもあるシュタイフ社のテディベアです。東京での展示会で偶然出合ったときは、顔、シルエットはもちろん、素材から何から、そのすべての愛らしさに瞬時に魅せられてしまいました。細部にわたる徹底具合に、「良い物を長くというドイツの歴史を感じた」と言います。当時は、岡山に取り扱うお店がなかったので、個人輸入で、シュタイフ社製を集めることに夢中になりました。 そして、一番下の息子さんが小学校に上がったのを機に意を決し、今年10月、ついにテディベアと雑貨のお店「フロッケ」を開店させました。テディベアに囲まれる幸せ 店内には、今年の新作からレア物、キッズ用など、たくさんのテディベアが所狭しと並べられています。「見れば見るほどかわいくて」と、改めて見まわし、うっとり笑顔の植村さん。お気に入りの雑貨も取り揃えていますが、子育て中の植村さんならではのチョイスも。機能性や安全性で選んだ文房具や無添加の石けんなどはご自身が子供に与えている物を扱っているのだとか。そんな店内をやさしく照らすのは、フランスから取り寄せた照明器具のあかり。義父さんに頼んだという塗装も、壁や棚、嫁入り箪笥をアンティーク調に演出し、寛ぎの雰囲気を高めます。 これからは、カフェも併設してベア好きな方との会話に花を咲かせたいというのが夢。こだわりの品揃えに、植村さんの笑顔の魅力もあいまって、人気のスポットになる日も近そうです。《編者独言》「前号につづき「村田蔵六」」笑顔こんにちは植村真実さん?巻頭特集家族で楽しむクリスマス ?グルメ特集年末年始グルメ特集 14この人に聞く牧 大介さん 18プラザ読者ご優待特集 20ビューティー特集頑張った自分にキレイのご褒美 22CONTENTS 12  ひきつづき司馬遼太郎の「花神」を読み返しています。主人公の村田蔵六は幕末、長州藩の海の見える村に生まれました。祖父も父も村の医者で、彼は父の意志を継いで大阪の緒方洪庵塾に入り蘭医学を学びます。当時、蘭学を目指す秀才たちが洪庵の名声を慕って入塾しているなか、蔵六はたちまち頭角を表し塾長になります。(ちなみに後輩に福沢諭吉)。当時の医者は特段に地位が高くなく、10日ほど医書を讀んで、わしが医者じゃと名乗れば医者になれたそうです。ですから蔵六の身分は代々百姓であることに変わりがありません。本人は長州藩にとりたてられて役立ちたいと秘かに望んでいましたが、身分制度の厳しい時代、長州藩はこの天才児を見向きもしません。否、その存在すら知りませんでした。 やがて、その才を知った宇和島藩主が彼を士分待遇で招きます。攘夷気分のただなか宇和島藩での蔵六は国産初の蒸気船を造り、砲台を築き、西洋文献の翻訳など目覚ましい活躍をします。聞き知った幕府は蔵六を蕃書調所(東京大学の元)の教授手伝として旗本待遇で迎え入れます。 その後、父の病気で故郷に帰ってから、蔵六は秘かに萩城下に桂小五郎をたずねます。蔵六は桂に、山陰の沖、日本海に浮かぶ竹島について「この島の帰属は非常に難しい問題なので、この際、はっきりとわが領土としてけじめをつけた方がよい」と進言したそうです。山陰の漁師たちにとって、重要な漁場としての竹島は古くから主権をめぐっての争いが絶えなかったことが分ります。 後日、長州征伐の幕府軍を山陰の戦いで鮮やかに撃破した蔵六は、名を大村益次郎と改め、明治時代を開く先駆けとして燦然と輝く功績を遺し舞台から消えていきます。PLAZA OKAYAMA DECEMBER 2012.Vol.240