月刊 プラザ岡山 Vol.240

月刊 プラザ岡山 Vol.238 page 18/36

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この人に聞くPLAZA INTERVIEW虫好き、自然好きの少年││ ネクタイが木製ですね! 「はい。西粟倉産のヒノキでつくったものです。揺れ方が普通の布製ネクタイとは違うので気づかれて、電車の中などでじっと見ている....

この人に聞くPLAZA INTERVIEW虫好き、自然好きの少年││ ネクタイが木製ですね! 「はい。西粟倉産のヒノキでつくったものです。揺れ方が普通の布製ネクタイとは違うので気づかれて、電車の中などでじっと見ている人もいます。ヒノキのいい香りがするんです。宣伝にもなりますし(笑)」││ 京都府宇治市のご出身ですね。 「虫が大好きな子どもでしたが、宇治市はベッドタウンだったので、あまり自然に恵まれている方ではありませんでした。でも、両親の出身が富山県の魚津というところで、魚を釣ったり、山に行けば魅力的な昆虫がいたりで、僕にとっての理想郷でしたね。虫好きと自然好きの延長で、大学受験のときは自分で勝手に決めて農学部に願書を出しました。父親は、「なんで農学部なんだ?」と言っていましたが。 大学では森林生態学研究室に所属し、大学院1年の夏まで、研究テーマはトビムシでした。トビムシは体長2ミリくらいの昆虫で、1㎡あたり5万から10万匹いて、森の循環を支える重要なプレイヤーなんです。その生態はまだよくわかっていなくて、解剖して顕微鏡で内臓を見たり、糞の中の菌を一つひとつ数えたり。1日に5、6時間は顕微鏡を見てましたね。自然そのものをもっと深く知るべきだと思っていたわけですが、同時に『どんなに素晴らしいトビムシ研究者になっても世の中よくならないだろうなあ』という思いもありました」過疎化の山村の実態に触れ││ 自然科学から、だんだん世の中寄りの関心に変わっていったきっかけは。 「京大の演習林が美山町にあったので、テントを張って山にこもったり、地域と交流したりする機会がたびたびありました。漬物工場でアルバイトしたり、しいたけやなめこの原木に菌打ちをしたり、原生林ツアーのガイドをしたり。そのたびに、過疎化と高齢化が進む中で、頑張ってはいるけれど大変そうな地元の人たちの切実な声が身に染みました。森林の良好な環境は、人が関わり続けることで維持することができるのに、その仕組みがない。自分はそれを形にしていきたい、そう考えるようになり、だんだんと人や地域社会のことに関心が移っていったんです。 大学で研究を続ける道も考えましたが、就活してみると内定がもらえたので、そのまま銀行系のコンサルタント会社に就職しました。新入社員のころは興味のない分野もいろいろさせられ、それはそれで視野が広がってよかったと思います。でも、『結局は既定路線の上で事務処理しているだけですよね』などと、先輩に仕事の愚痴を言う生意気な新入社員だったので仕事を回してもらえなくなりました。おかげで自由な時間が増えましたけど(笑)。そのころ導入された年収選択制を利用し、暮らしていけるぎりぎりラインまで年収を下げてもらいました。そうすればノルマも下がるので、実働時間も減り、自分の関心のあるところに出掛けて行く時間が持てます。釣竿持って出張に出掛けることも多かったです。釣りも含めてフィールドワークに時間を使うことで、地域がよくわかるようになり、そうするうちに社内では干されても、外部からの仕事が飛び込むようになりました。入社4年目ごろには、関心のあることで稼げるようになっていきましたが、それでももっと山村を元気にするための仕事がしたいと思い始めたんです」││ 新しい組織の立ち上げに。 「会社を退職し、コンサルティング専門家集団の会社の立ち上げに加わりました。その中に持続可能経済研究所という部門をつくり、農山漁村の再生に取り組むための調査や、事業をスタートさせましたが、僕はさらにもっと深く現場に関わる形で追求したくなったんです。それで所長の任務はほかの人に譲り、子会社として株式会社『トビムシ』を設立しました。会社名にするほど、僕がトビムシを愛していたかというと、決してそうではないんですが、だれかが言い始めて、森の再生を支えているという意味とインパクトがあるという理由で決まってしまいました。『トビムシ』は、ひとことで言えば、森林の価値を高めることで地域再生を目指すトータルマネジメント会社です。ここまできて、自分がほんとうにやりたいことにたどり着けたと感じました。多いときは西粟倉村も含む全国の10地域ぐらいを同時に手掛けていましたね」西粟倉村に張り付いて本腰で││ その中で、なぜ西粟倉村を選ばれたのでしょう。 「10か所だと、さすがにやりきれないから、絞ってやりたいと思ったとき、西粟倉村は、村長さんをはじめ、とても前向きにがんばる方々がおられたので、これならやりがいがあると感じられたからです。 2004年の平成の大合併のとき、西粟倉村は住民投票の結果から、合併しない道を選びました。御上からのお達しに背いてまでも独自にやっていくなら、今までと違う道を行こうと模索していた時期でもあったようです。仕事としては儲からない上に大変そうだけど、ビジョンを共有できる多くの仲間の存在があって、おもしろそうだと思いました。実際にやり始めると、どんどん大がかりになっていって、地元に張り付いていないとやれないなと悟り、ここに移住して集中するこ設立から3年で売上1億円を超え、西粟倉村内で多く雇用を生み出した『株式会社西粟倉・森の学校』。村がかかげる「百年の森構想」の実現のために奔走するのが代表の牧さんだ。着実な成果の裏には鋭い知力と惜しみない労力、そして何より揺るぎない森林愛がある。レトロな社屋ではカフェや木の小物たちが温かく迎えてくれるショップもある。ぜひ一度訪れたい。株式会社西粟倉・森の学校 代表取締役牧 大介さん1974年 京都府宇治市生まれ。1998年 京都大学大学院農学研究科(森林生態学研究室)修了。1998年 三和総研(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)研究員。2005年 アミタ株式会社の持続可能経済研究所 所長に就任。2009年 株式会社トビムシ 取締役に就任。2009年 株式会社西粟倉・森の学校 代表取締役に就任。専門は森林・林業、農村漁村振興、生態学、環境民俗学など。FSC認証制度を活用した森林集約化や林業経営改善をはじめ、農山漁村での新規事業や大手企業の森林CSR事業のプロデュース支援実績多数。国土交通省国土審議会集落課題検討委員会の委員なども務めてきた。MAKI DAISUKE牧大介 さん プロフィール