月刊 プラザ岡山 Vol.230

月刊 プラザ岡山 Vol.230 page 8/32

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歴史散策源平合戦ゆかりの地を訪ねる有史以来、岡山の地は日本全土を揺さぶる出来事の舞台になったことが幾度もあります。平安時代の終わりに起こった源平合戦もそのひとつ。往時に思いを馳せながら、伝承の地を巡っ....

歴史散策源平合戦ゆかりの地を訪ねる有史以来、岡山の地は日本全土を揺さぶる出来事の舞台になったことが幾度もあります。平安時代の終わりに起こった源平合戦もそのひとつ。往時に思いを馳せながら、伝承の地を巡ってみませんか。今回は、吉備歴史アカデミー安藤紀男さんにご案内いただきました。 「今とは海岸線がまるで違っていて、現在の児島半島と水島、柏島、乙島などは全部島で、藤戸あたりも海だった」と安藤さん。そういった地理的条件の中で、河野水軍なども味方につけて海戦に強い平家と、馬を操り陸戦が主である源氏の対戦です。「瀬戸内海での決戦は平氏に有利なはず。しかし水島合戦以外はすべて負け戦です。それは清盛の死後、水軍が源氏に寝返ってしまったこと、源氏が武力集団だったのに比べ平氏は女性子どもを含めた一門で動いていたことなどが挙げられると思います」。 平家の唯一の勝ち戦。現在の玉島柏島の小丘は水玉ブリッジラインで二つに分断されていますが、北側の山頂に「源平合戦水島古戦場①」の石碑があり、平氏の陣があったとされる場所です。一方、港湾をはさんで、向かいの乙島にある常照院境内に「源平水島合戦城址②」と?①水島の合戦で平家が陣取った場所とされる。すぐ後ろは水玉ブリッジライン。②源氏が陣取った場所は現在の常照院境内。日間山法輪寺③ 藤戸の合戦で源氏本陣のあったところ。乗り出し岩⑤ 真ん中の巨岩に盛綱が立っていた(?)浮洲岩跡⑥ 本物の岩は秀吉によって京都醍醐寺三宝院に祀られている。藤戸寺に続く朱色の橋はその名も「盛綱橋」。その欄干には海峡を渡る盛綱像が。④正森山の中腹にある篝地蔵一帯が平家本陣跡。水島の合戦 1183年平安時代の末期、政治権力を掌握し、莫大な財力も得た平清盛。特に西日本では、その大半の地を領有していたといいます。その清盛の死(1181年)を契機に平家討伐の命が下され、瀬戸内海を中心に平家の敗走、滅亡(1185年)に至る合戦が展開されました。笹無山⑦ 今では笹がはえている。クセになる美味しさ!ぱりぱり倉敷市藤戸で生まれた「倉敷ぎょうざ」は素材と新鮮さにこだわった本格ぎょうざ。20ケ入り 600円40ケ入り 1,200円倉敷ぎょうざ■倉敷直販店 倉敷市藤戸町天城37-3 ?0800-200-7730 営9:30~18:30 無休■岡山県庁通り店 岡山市北区丸の内2-12-24 ?086-232-6677 営10:00~19:00 無休■岡山今店 岡山市北区今4丁目9-34 ?086-244-7889 営10:00~19:00 無休● フリーダイヤル 0800-200-7730● フリーFAX 0800-200-7611● インターネット注文 倉敷ぎょうざ検索お取り寄せ、全国発送も承っております